【歴史に学ぶFXシリーズ】プラザ合意
兼業FXトレーダーのナッキです。
(@nakki_fukugyo)
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これは初代ドイツ帝国宰相のオットー・フォン・ビスマルクの言葉です。
この言葉の意義は、本当に賢い人は自分の経験だけでなく、失敗を防ぐために最初から他人の経験から学ぶというものです。
FXにおいても、他人の失敗談や過去の暴落などは大変参考になるかと思います。
そこで
「FX過去の歴史に学ぶシリーズ」
と題して
今回は1985年に起きた「プラザ合意」について振り返ってみたいと思います。
プラザ合意とは
プラザ合意とは、いったいなんのことでしょうか。
名前だけはなんとなく聞いたことがあるけど、中身はよく知らない人がほとんどだと思います。
(僕もそうでした・・・)
プラザ合意とは1985年9月に、ニューヨークの五つ星のプラザホテルで開かれた会議での合意内容です。
当時、日本の経済が勢いよく発展している段階でした。
アメリカへも大量の日本の高品質の製品が「安く」が輸出されていました。
日本から安く高品質の製品がどんどん入ってくるため、アメリカの企業は日本の企業に追い抜かれていきます。
その状態に危機感を持ったアメリカ議会がとった対応策が
「円高ドル安」への誘導です。
円が高くなれば、日本の製品の値段が高くなり外国で売れなくなります。
逆にドルが安くなれば、アメリカの製品が安くなり外国で売れるようになります。
そう、自国の通貨は安いほうが輸出に有利なんですね。
このアメリカは自国の経済を立てなおすために、円高ドル安に誘導しようというのが「プラザ合意」です。
プラザ合意は、日本とアメリカだけでなく、当時の先進国であるイギリス・西ドイツ・フランスも協力して円高ドル安にしようと合意しました。
協調介入の実施
アメリカ経済の悪化は世界中に影響が及ぶと考え、先進5か国はドル高の是正に合意したのがプラザ合意でした。
それでは、いったい何をしてドル高を食い止めたかというと
それが
協調介入です。
各国の中央銀行が一斉に大量のドルを売りに出したのです。
このとき、1985年9月のドル円は240円でした。
それがプラザ合意の発表から24時間で約20円下落しました。
20円ってすごいですね・・・。
さらに2ヶ月後には200円を切りました。
今では考えられないですが、ドル円がたったの2ヶ月で約40円も動きました。
その後も円高に進行が続き、約2年でドル円は120円となったのです。
2年で120円もの強烈なトレンドを生み出したのがこの協調介入でした。
ドル円が2年で半額になるってあらためて考えると凄いですよね。
まるで、いまのビットコインの動きのようです。
これくらい一方通行に動けば、ドル円を売りまくって大きく稼げるんだろうなぁ(たぶん実際はそんなにうまくいかない・・・)
協調介入は世界の金融危機と判断したときに、人為的に為替を操作する行為ですので、実施例が少ない分、効果は抜群ですね。
僕は2010年からFXトレードをしていますが、2011年3月の東日本大震災のあとに急激に円高が進んだ際、G7が協力して介入したのを覚えています。
これは76円から一気に81円台まで上昇して、ローソク足が火柱のごとく燃え上がる様にFX初心者ながら興奮しました。
また、いずれ協調介入することがあるでしょうから、ボーナス相場にしっかりと乗っかりたいですね。
それでは、歴史に学ぶFXシリーズとして、今回はプラザ合意についてお伝えしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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