小さなことに落ち込まない思考法
日常の悩みなんてちっぽけなもの
人間だれしも悩みを抱えながら生きているものです。
そんななか僕らサラリーマンが抱えている悩みなんていうのは、
「職場の人間関係」や「お金のこと」や「仕事が嫌で会社にいきたくない」とか
その程度のものです。
宇宙の広さに比べれば個人が抱えている悩みなんて、取るに足らないちっぽけな問題です。
しかし、ちっぽけと言われても嫌なことは嫌だし、そんなちっぽけなことに憂鬱になりながらも日々過ごしている人が多いことでしょう。
そもそも宇宙の広さと比べるという表現自体が無理があるのです。
普段、宇宙のことなんて全然考えないのでリアリティがないのです。
我々は目の前にある小さな問題を処理するだけで、いっぱいっぱいになっているし余裕がないのです。
今日は、僕が考えるのも嫌になるような悩みを抱えたときに、
どういうふうに考えて克服しているかについて書こうと思います。
僕が悩むことは、「仕事が嫌だな」とか、「会社に行きたくないないな」とか、
サラリーマンなら誰でも思うようなことがほとんどです。
僕の抱えている悩みの原因は、会社の空気が合わなかったり、仕事に対して閉塞感を感じているとかその程度で、生命にかかわる問題を抱えている人が周りにいたり、莫大な借金を抱えていたりする人などからみれば、本当に小さなことです。
しかし、当人の僕にしてみればやっかいな問題なのです。
冷静に本質的なことを考えれば、悩みにはいらないのは分かっているのですが、心が弱っているときは落ち込んでしまいます。
小さなことに落ち込まない思考法
ちっぽけな悩みがあるときに僕は、悩みを宇宙の広さと比べるのではなくて、
こう考えるようにしています。
「100年後には誰もいなくなっている」と
人間の寿命は長くて100年です。
ということは100年後には、自分も含めて、自分の周りの人も、どんな偉人も犯罪者であってもこの世にはいないのです。
もちろん会社の同僚や上司やオーナーも取引先の人も、同じくいなくなっています。
地球上のすべての人間が入れ替わっているのです。
僕の言動で僕が他人からどう思われようが、今日どれほどの恥をかこうが、
そんなことを知る人は誰もいなくなっているのです。
なぜなら100年後は今生きている人が誰もいない「次の世界」なのですから。
そう考えれる少し楽になりませんか?
だって、いずれこの世界はリセットされるのですから、他人の目を気にする必要もないし、会社が嫌なんていう理由で悩むことに意味なんてないのです。
現代の人が江戸時代のひとりの農民のことなんて考えますか?
どうでもいいですよね。
当時の犯罪者や悪代官のことだって、知れば「そんなこともあったんだ」と思う程度で、昔の人にはなんの影響も与えません。
だから僕らは好きなことをして生きればいいのです。
どう生きたかは、子供や次の世代につながるという考え方もできますが、
いま悩んでいることがなくなることのほうが優先です。
「100年後には誰もいなくなっている」と考えることは、決して投げやりになるのではなくて、悩んで落ち込んでウジウジしている時間に意味がないと思い込むことが目的です。
まじめな人のほうが必要以上に周りを気にしてしまうので、そんなときは少しくらい気持ちを楽にして、どうせ100年後には何も残っていないのだから、もっと気楽に生きていいのではないでしょうか。
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